ブックメーカーの控除率から見えてくる公営ギャンブルの問題

俺が競艇をやめて海外のブックメーカーを選んだ理由の一つとして、「ブックメーカーは控除率が低い」というのは間違いなくある。

俺が競艇に失望したのは八百長事件以来、競艇というギャンブルに対する愛情を失ってしまったのが最大の原因なのだが、一度やめてみると「競艇」の短所がブックメーカーとの比較でやたらと眼につくようになる。

まあ、別れてしまった女の悪いところだけを批判する最低の男と同じ精神構造と言われたらそれまでだが、こういうのも人の本性なのだろう。

「日本の公営ギャンブルの悪しき控除率」についても、競艇がメインだったときもボンヤリと考えてはいたものの、それほど真剣ではなかった。

だが、ブックメーカーのスポーツベットがメインになると、さすがに「公営ギャンブルの控除率ヤバいんじゃないの?」という気持ちが抑えられなくなり、それは次第に怒りへと変化していった。

今回は、俺がブックメーカーをオススメする理由の一つである「控除率の低さ」を軸に、公営ギャンブルの控除率の問題なども改めて考えていけたらと思う。

ギャンブルにおける控除率とは何か?

ギャンブルにおける控除率とは何か?

ギャンブルにおける「控除率」とはそもそも何かというと、「ギャンブルを運営する胴元が、賭け金のうちで自分が取得する割合」のことだ。

控除率は別名では「テラ銭」と呼ばれていて、この呼び方のほうが馴染みが深い人は多いだろう。

オンラインカジノでは「控除率」は「ハウスエッジ」と呼ばれているから、ついでに覚えておくといい。

「控除率は高ければ高いほど胴元が得して、低いほどにギャンブラーにとってはありがたい」と、かなり単純化した説明ではあるが、そういう数値だと理解してもらいたい。

「控除率」は「的中率」とも関係していて、「的中率が高ければ控除率が低くなり、的中率が低ければ控除率が高くなる」という仕組みになっているため、「胴元の取り分」の指標としてだけでなく、「そのギャンブルの勝ちやすさ」の指標としても参考になる。

もちろん「勝ちやすさ」についてはあくまで「確率」のことでしかないので、実際にその確率通りに勝てるかどうかは別の話なのだが、「控除率が高い」というだけで「勝ちにくいギャンブル」というレッテルが貼られてしまう現実があることは確かだ。

控除率が高い公営ギャンブルと低いブックメーカー

日本の公営ギャンブルは控除率が世界的に見てもかなり高く、ブックメーカーは控除率がかなり低いという風に、対照的になっているためギャンブルとして比較がしやすい。

主要なギャンブルの「控除率」と「1000円賭けたときに胴元が持っていく金額」を軽くリストにしてみると、以下のようになる。

ギャンブル 控除率 胴元が持っていく金額
宝くじ 52%~56% 540円
サッカーくじ 50% 500円
公営ギャンブル 25% 250円
パチンコ 10~15% 100円~150円
スロット(オンカジ) 5%~15% 50円~150円
ヨーロピアンルーレット(オンカジ) 2.7% 27%
バカラ(オンカジ) 1.2%~1.36% 12円程度
ブラックジャック(オンカジ) -2%~4% 40円以下で胴元の損もあり
ブックメーカー 6%から7%程度 60円~70円程度

ブックメーカーのところだけやや曖昧になっているのは、ブックメーカーは「賭けの対象」や「ブックメーカーごと」によって控除率が変化するため、「固定された控除率」が出せないためである。

この「6%~7%」というのは、それらの「固定されないブックメーカーの控除率」の平均から導き出した「おおまかな控除率」ということになる。

「おおまかな控除率」ではあるが、ブックメーカーが10%以上の控除率になるということはまずない、と考えても問題ないだろう。

このリストを見れば明らかなように、「日本の公営ギャンブルの控除率の世界的な高さ」と「ブックメーカーの相対的な低さ」を、それぞれにわかってもらえるかと思う。

日本の公営ギャンブルの控除率の高さの原因

「胴元が国家であるから」ということが、日本の公営ギャンブルがこの悪しき高さになっている原因だ。

日本は基本的には「賭博」が禁止されているのだが、賭博の一切を禁止したところで、人間の「ギャンブルがしたい」という本能まで禁止することはできない。

公営ギャンブルというのは、その「ギャンブルがしたい」という本能を規制したり禁止することができない以上は、国民ができるギャンブルを用意しなければならないだろう、という「ガス抜き」の役割で運営がなされている。

日本の公営ギャンブルが悪辣な控除率になっているのは、「ガス抜き」として提供すると同時に「搾取」もついでに行っておこう、という国家としての卑怯さに起因しているということができる。

日本の公営ギャンブルは、競馬、競輪、競艇、オートレースそれぞれに、運営理念として「公共事業の振興」や「社会福祉への貢献」といった理由がつけられている。

たとえば、競艇であれば「船舶の発展と社会事業」がお題目として掲げられているが、これはあくまで「国家が賭場を経営するためのタテマエ」でしかない。

この「タテマエ」があるおかげで控除率を上げることもできる仕組みになっているのが、日本の公営ギャンブルの特徴であるといえる。

本音を言えば「胴元にたくさん金が入ってきてほしい」なのだが、タテマエを通せば「社会事業のために収益が必要」と言い換えることができる。

25%という世界的に見ても高い公営ギャンブルの控除率は、国家的な欺瞞と搾取構造のもと設定されている数値でしかなく、ある種の開き直りでしかない、ということができる。

胴元であると名乗っていることからくる控除率の低さ

ブックメーカーの控除率が比較的低いのは「胴元である」ということに「タテマエ」を作ることができないことに起因している、ということができるだろう。

「ブックメーカー」というのは、その言葉のなかに「我々はスポーツベッティングなどの賭博の場を提供する胴元ですよ」という自己紹介がすべて含まれている。

つまり、日本の公営ギャンブルのように「社会のためにギャンブルの場所を提供しているのですよ」という嘘を言うのではなくて、「私たちは私たちのためにギャンブルの場所を提供しているんですよ」と正直に宣言することしかできないのが、「ブックメーカー」という言葉の宿命なのだ。

となると、ここでブックメーカーが公営ギャンブルのような控除率にした場合、与える印象というのは「私たちは、私たちがテラ銭で儲けてあなたがたを効率的に搾取するために25%の控除率にしましたよ」というメッセージが自然と発せられることになってしまい、ギャンブラーたちに最悪の印象が拡がることになる。

公営ギャンブルの場合は、本音は「あなたがたを効率的に搾取したいのです」なのだが、ここを「社会事業なので仕方ないのです」とごまかすことができる(できていないのだが…)が、ブックメーカーがそれをやった場合は「悪徳胴元」の印象がついてしまう、というワケだ。

控除率の低さから見えてくる胴元としての態度

「控除率」について見ていくと、「胴元の取り分の指標」と「ギャンブルの勝ちやすさの指標」としてだけでなく、「胴元としての態度」をはかるための指標という側面も見えてくるように思う。

「控除率が低い」というのは、公営ギャンブルが言うような社会貢献などの「タテマエ」を排して、堂々と「胴元である」ことに徹している、という態度を見る姿勢としても見れるのではないか、と俺は考えている。

俺はたびたび競艇における笹川良一の「(諸君の賭け金は)わたくしが預かっているだけ」という発言のことを考えているが、あのとき笹川良一がしたことは「国家のタテマエは嘘だ」という宣言だったのだ、ということがわかる。

「おれは国家のタテマエを利用して、お前たちから金を預かる」というような嘘偽りない本音を言った点においては、笹川良一と競艇は評価に値するだろう。

もちろん、その評価があったところで「日本の公営ギャンブルの控除率の悪辣さ」の評価が覆ることはないのだし、「本当のことを言っただけマシ」というだけの話でしかないのだが、胴元はかくあるべし、といったところだ。

一方のブックメーカーは「諸君の賭け金は我々が預かる」という態度をはじめからしっかりと示していると同時に「控除率も低い」のだから、これは対照的に、どちらの側面から見ても「評価に値する」ということができるだろう。

ギャンブルにおける控除率のまとめ

ギャンブルにおける控除率のまとめ

  • 公営ギャンブルは世界的に控除率が高い
  • ブックメーカーは控除率が相対的に低い
  • 控除率の高低から胴元の姿勢を知ることができる

ブックメーカーを軸に考えた「控除率」についてのまとめは以上になる。

俺は様々なことが重なって競艇から足を洗いブックメーカーに移行したが、控除率の一点だけをとっても競艇をやめてよかった、ということが、今回の考察で明らかになったと感じている。

控除率によって胴元に奪われていくテラ銭は「塵も積もれば山となる」もので、そのギャンブルにかかわる時間が長くなるほどに増えていく仕組みになっている。

日本の公営ギャンブルから身を離し、ブックメーカーをメインに据えるということは、「控除率」の観点から言ってそれ自体で「損失」を減らしているということができるだろう。

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