競艇に失望した俺がブックメーカーに激ハマりした理由

競艇はもうダメかもしれないな。少なくとも、俺はもう没入できない。これからはブックメーカーの時代だ。

俺は長らく競艇と野球観戦が趣味で、成人してからはヒマさえあれば競艇場と野球場にかけつける暮らしをして、あっという間にギャン中ビール腹の中年男になっていた。

俺の中年男性特有のだらしないボディは競艇場のもつ煮と野球場のビールでできてるっていっても過言じゃないな。

当然、日本ではスポーツ賭博は違法なんだが、みんな口にはしないだけで「プロ野球で酒飲みながら賭博ができたら最高だよな」とは思ってるはず。

そんなギャンブルとスポーツ観戦を愛する一般的日本人にとっては「見果てぬ夢」でしかなかった悪魔合体であるスポーツ賭博が、実は、近年はオンラインカジノでできてしまう状況にあるのだ。俺たちはいまそういう時代に生きている。

日本では違法のこのスポーツ賭博が、オンラインカジノの「ブックメーカー」が登場してからは、日本でもギリギリのグレーゾーンの範囲内で遊べるようになったってワケだ。

これは「ギャンブル」と「プロ野球」が好きな俺にとっては最高の時代が来た、と思ったね。

ちょうど競艇に失望して足を洗おうかと考えていたタイミングだったし、俺はこれからはオンラインカジノのブックメーカーを主戦場にして、スポーツ賭博で確実に金を増やしていこうと考えている次第だ。

ブックメーカーは海外胴元の政府公認人気ギャンブル

ブックメーカーは海外胴元の政府公認人気ギャンブル

ブックメーカーは、公営ギャンブルとパチンコしか許されていない日本では違法のギャンブルだが、ヨーロッパなどの海外では政府公認でバリバリに稼働している胴元制度の人気かつ主流のギャンブルだ。

ブックメーカーってのは「胴元」って意味なんだが、ギャンブル用語としてのブックメーカーは、多くの場合は「スポーツブック」「スポーツベッティング」という意味で定着して使われていることが多いな。

とりわけ、オンラインカジノに関しては「ブックメーカー=スポーツベットの胴元」っていうおおざっぱな理解でも問題がないと俺は思う。

ブックメーカーはもともとは店舗をかまえてヨーロッパの連中にギャンブルの場を提供していたんだけど、2010年以降はインターネットとスマホの爆発的な普及があって、ブックメーカーが一斉にオンラインに移行するという大きな流れがあった。

コロナ渦の影響もあって、現在は海外のブックメーカーの大半がオンラインカジノに移行している。

それで、俺たちみたいな日本人でもオンラインカジノに登録するだけで「日本に住みながらスポーツ賭博ができてしまう」という夢のような状態が提供されることになった。

この夢のような状況はいつまで続くかわからない。俺のなかでオワコン化しつつある競艇ではなく、俺がブックメーカーに飛びつくのは必然といえるだろう。

様々なスポーツでベットできるブックメーカーの魅力

俺はプロ野球が好きだから、野球メインでブックメーカーに賭けているが、ブックメーカーでは、野球以外の様々なスポーツにもベットできるのがなんといっても魅力的だ。

ブックメーカーで賭けられるスポーツは、ザっと見渡しただけでも以下のようになる。「網羅的」といっていい圧巻のリストだ。

  • 野球
  • サッカー
  • テニス
  • バスケットボール
  • アメフト
  • ラグビー
  • バレーボール
  • 卓球
  • 水泳
  • 相撲
  • ゴルフ
  • フットサル
  • 陸上競技
  • ウインタースポーツ
  • 自転車レース
  • 水球
  • ハンドボール
  • ボクシング
  • 総合格闘技
  • アイスホッケー
  • オートバイ競技
  • クリケット
  • ビリヤード
  • ダーツ
  • ドッグレース
  • eスポーツ

「eスポーツ」まで含まれていることもあって「最近の高校生の部活動の一覧」にしか見えないかもしれないが、これがぜんぶ「賭けられる対象の一覧」なのだから、ブックメーカーおそるべし、といったところか。

ブックメーカーは日本のスポーツも賭けの対象にしているから「相撲」のようなサンクチュアリ、日本の国技さえも賭けの対象にされてしまっている。土俵に女があがっただけで問題になるような保守的な日本では絶対に考えられない事態だ。

俺はプロ野球ファンだしなんとなく倫理的に抵抗があってやらないが、オンラインカジノのなかには、なんと「甲子園」に賭けられるブックメーカーもある。

「高校球児たちの青春をなんだと思ってるんだ!」と憤る人もいるだろうが、球児たちの青春に泣きながら賭博をするということも2023年は可能なのだ。

さきほど「部活」という話が出たが、やっぱり、ブックメーカーでは部活を選ぶのと同じ感じで「好きなスポーツ」を選ぶのがベストだし、楽しい。

なんにせよ、ブックメーカーで遊ぶようになってから、俺の「野球観戦」の楽しみ方は根本的に変化せざるをえなくなった。

応援しているチームの優勝を願いつつもギャンブルの勝利のためには応援チームの負けを願う、というような倒錯した状況のなかで、観戦の興奮があきらかに倍加しているのを感じている。

ブックメーカーに提供されるスポーツベットの楽しさを知ってしまった以上、やはり、俺はもう競艇には戻れない。そんな気がしている。

競艇に失望するきっかけになった「八百長事件」

ここでブックメーカーから少し離れて「競艇に失望した話」にも少し触れておきたい。俺が長年の競艇愛を次第に失っていく原因となったあの「競艇史上最低の八百長事件」のことだ。

このおぞましい事件が発覚したのは、2019年のびわこ競艇だ。八百長をしたのは、競艇ファンのあいだでは、もはや忘れられない名前となった「西川昌希選手」だ。

明らかに不自然な「捲くり」と「急減速」が、当時観戦していた競艇ファンや、競艇関係者たちの不信を呼び起こして、「八百長」の疑惑が立ち、西川昌希への調査が入った。

その結果は「クロ」。なんと、西川昌希は、レースの枠がわかったあとに共謀者である暴力団の親族に連絡をとっていたのである。

このような八百長を西川昌希は半年以上続けて、20レースにも及ぶ八百長を通して総額で3000万以上の報酬を受け取っていたことが判明した。

西川昌希には3年の懲役刑が科せられたが、この「八百長事件」は、西川昌希の処分だけでは終わらなかった。当の西川昌希自身の「暴露本」の出版によって、さらに暗黒の様相を呈すことになったのだ。

西川昌希が出版した『競艇と暴力団 八百長レーサーの告白』という暴露本には「多くのボートレーサーが八百長を行っている」という記述があり、それが競艇界全体の信用を下げ、競艇ファンの多くを失望させるきっかけとなった。

俺もまた、この八百長事件と暴露本を通して競艇に失望した競艇ファンの一人だ。

いかがわしい競艇界にギリギリあった矜持の喪失

競艇ってのはまあ、しかし、大衆右翼の笹川良一によって牛耳られていたという歴史の始まりの段階からいかがわしいものである、ということは当然俺も熟知している。だが、そこには「矜持」があったとも思う。

「ファンの諸君、諸君らが競艇で使った金はなくなったのではないわたくしが預かっているだけなのである」

これは競艇のドン・笹川良一の伝説的な言葉だ。この言葉は、こう続けられている。

「預かった金はどんどん取り返してもらって結構だし、取り返したくないという方の金は私が有益に使って差し上げる」

身も蓋もない言葉ではある。あまりにも大胆な「胴元総取り宣言」だ。

だが、同時にここには虚飾や嘘もないと俺には感じられた。シビれる。むしろ「快なり!」といったところだ。

このくらいのことを言うのだから、せめて「八百長」だけはしないだろう。公平性は維持するだろう。それが、俺が笹川良一の作った競艇界に感じていた「矜持」のようなものだ。

俺は長らく競艇を愛してきたし、愛してきたぶん「笹川一族に預けてきた金」も莫大な額になるが、それでも競艇が好きだったのは、何よりレース自体に興奮させられていたし競艇の「公平性」にまだ多少の信頼を持っていたからだった。

笹川良一に感じられた「矜持」は、選手には継承されなかった、ということなのだろうか。少なくとも、西川昌希と、西川昌希が告発した「他にもいる八百長選手」には継承されなかったのだろう。

俺はもう「笹川一族に預けてきた金」を取り返すのはやめることにする。

「八百長」の一件以来、俺の「競艇愛」みたいなものは徐々に冷めてきてしまって、いまや完全に競艇に失望してしまった。

俺にとって特別な場所だった競艇場も、競艇場で食べるもつ煮も、手に汗握るレースも、一度ヒビが入ってしまった心にはもう色あせて、魅力を失ったものにしかうつらない。

競艇ファンに与えられたブックメーカーという救い

競艇ファンに与えられたブックメーカーという救い

オンラインカジノのブックメーカーは、「競艇」という最大の趣味を喪失してしまった俺に与えらえた、ギャンブルの神からの「救い」のようなものに感じられる。

今でこそ冷静に「競艇への失望」を語ることができるが、やはり、20代からずっと続けてきた趣味が楽しくなくなる、というのはかなりキツイことなのだ。

俺は「勝つ」ことも大事だけど、それ以上に「楽しい」ことが好きだ。ギャンブルは楽しくないと、意味がない。

八百長事件以降、俺は「ギャンブルを楽しめない体」にされてしまっていた。それは俺の人生にとって最大の危機だった、といえる。

「たかがギャンブルでそんな思いつめなくても」と言われるかもしれないが、競艇は確かに俺にとってずっと「生きる活力」だったのだ。

ブックメーカーの登場は、俺に「生きる活力」としてのギャンブルの楽しさをもう一度与えてくれたと思う。

実際、ブックメーカーで賭け始めてからは、八百長事件の前後のころの自分より、明らかに表情も明るいし、イキイキとした暮らしをしていると感じられている。

当面はブックメーカーの力を借りて、このギャンブル人生を楽しく生きていきたいところだ。